私も親友を一人失っています。
竹ノ内淳
:2008/01/26 05:20:46 ID:4030私も親友を一人失っています。
確認申請うけてないので受賞できない話は聞いたことがあります。震災で生埋めになった身としては真の全壊ではなく行政の全壊認定が作家の表現としてカタカナに変わりコンセプトになっているところでむかつきます。
新堀学さんのコメントと写真を見ながら感じた事ですが、ゼンカイハウスの使命として、記憶する空間はすなわち記憶された生活であることを示し続けていく事。と結んでいらっしゃいますが、私は記憶という言葉では、弱すぎると思うのです。ある時を境に、蝕まれた裸形の日常は記憶以前の個人の存在の復権でなければならなかったはず。住まいは住まい方などでは無い!ということの証明の一つがゼンカイにはみうけられます。生存は不連続的連続のなかで再生産される意志であり、その残滓だからです。
竣工当初側面断面が全体的に見えていたと思うのだが、現在は隣にお店が建ち、見せ所の一つである断面が一部しか見えないのが残念である。震災の記憶を残すために全壊の住宅を補強して使っている(現在はアトリエとして利用)のだが、なんだかアピールしすぎなような気もします。