再び藤本さんの居場所論についてですが、彼は様々な言葉で説明を試みていますが、その中でも意図されない場所という表現は、かなり近いですね。人体の臓器と臓器の隙間は、臓器の外側でありながらなお人体の内部ですよね。私が着目しているのはその部分です。建築では、まだ未開の領域です。居場所という概念は、固定的なものでなく、場所よりも場面と解釈するべきでしょうか?本来の内部にありながら外部を感じる様な意識の入替を孕む日常性。これまでの建築にあったでしょうか?合目的的などではなく、目的はたえず変更され消去されるものです。トイレに行こうとして、突然バルコニーにでて風邪に吹かれたりするのです。人間というものは!LDkの発想では有り得ない生活導線です。しかし、現実の暮らしでは意図されない場面や廊下の途中みたいな言葉にならない場所で、人は存在しています。ですから私は、それらをまとめて空間の内奥と呼んでいるのです。
竹ノ内淳
:2008/04/09 10:18:59 ID:4409