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石町の家

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設計者:
竹ノ内一雄
竣工:
2006年
面積:
敷地面積: 403.29m2 建築面積: 197.72m2 延床面積: 344.67m2
住所:
栃木県宇都宮市  
分類:
独立住宅 診療所 RC造 栃木
参考文献:
住宅建築 2007年 12月号 [雑誌] 平面図 断面図 自評 仕上 データ カラー写真


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大部分の床が無い住宅といえば、篠原一男の谷川さんの家。硝子の六角形で囲まれた、壁の無い住宅といえば竹ノ内一雄のキュウビックハウス。時々2階の床ができるのが、やはり竹ノ内一雄の自邸2。(B梁の上に35mm厚の枕木状の板を並べるだけ)。屋根の無い家が、言わずと知れた住吉の長屋。或いは篠原一男の空の矩形。いずれも引算の建築。何かが消えることで、生活が不成立になる事もない。空間を考えていくときの究極の手法は、如何に消すのか?なんですね。

竹ノ内淳
:2008/12/02 19:20:48 ID:5190

西洋の建築は壁の建築であるのに対し、わが国の木造建築は[床と屋根]の建築であるといわれています。外壁が石や煉瓦で囲われた、外観重視の西洋建築に対し、高温多湿のわが国の風土には、むしろ壁は不要だったのです。軒深い庇や屋根によって、涼しい日陰をつくり、高床にすがすがしい畳を敷きつめるといった、洗練された建築が本来の日本建築だと思います。木造建築の傑作といわれる桂離宮を例に挙げるまでもなく、民家もまた同じ概念によって出来ています。西洋の建築は[公と私]が壁によって完全に分離されていて、中間領域はありません。しかしどの町にも広場があって、人々の出会いの場となっています。それに対して、わが国の木造住宅は、内外の空間が融合しているのが特長です……深い軒のある縁側や、車が少なかった頃の道は、[公と私]の中間領域だったのです。私は今までに、その中間領域を[径]の形で建築を表現してきました。私がいう[径]とは、下町の路地とか、横丁の道とかいった小径のことです。かつての道は、人々の生活の場でもありました。金魚売りや紙芝居、軒下には朝顔や、植木鉢などがあって、大人達は縁台将棋に興じたりする住宅の延長であり、コミュニケーションの場でもあったのです。その[径空間]も、猛烈な車の波に占拠されて、人々はいつの間にか貝のように閉鎖的なシェルターの中に閉じこもってしまいました。その結果、隣近所の名前も知らない、勿論顔を合わせても挨拶もしない、自分勝手で権利だけを大声で主張する、そんな人達が住む町と成ってしまいました。好むと好まざるに関わらず、閉鎖的な住宅に住まざるをえなくなった今、建築家として、何が大切かを真剣に考える時期に差し掛かって来ていると思うのです。饒舌でなく、過保護にならず、ポエムがある。そんな楽しい空間を目指して行きたいと私は思っています。 竹ノ内一雄

竹ノ内淳
:2008/09/28 20:25:26 ID:5136

住宅とは、人生観も、仕事も、趣味も、感性も違う人達のための生活空間だとおもいます。ですから住む人が変われば、住宅もまた変わるはずです。つまり誰にでも向くような家はあり得ないと思うのです。欠くことが出来ないのは、人々との触れ合いがあって、青空、緑、水、光、風と共存出来るということです。コンクリートジャングルの中では難しいことですが、難しければ難しい程、挑戦してみたくもなります。 竹ノ内一雄 こんな家に住みたかった 建築資料研究社 より…。

竹ノ内淳
:2008/09/27 23:39:59 ID:5135

小学校を卒業しただけの私が、何時の間にか一級建築士になり設計の仕事をするようになりました。そんな私が言うと生意気に聞こえるかも知れませんが…最近の住宅は無機質なものが多いように思えてなりません。私は機能に[心]をプラスした、過保護でない住宅を目指して行きたいと思っております。 竹ノ内一雄

竹ノ内淳
:2008/09/24 23:26:45 ID:5125

家の間取りについての一般論であるが、新築当時のまま何十年も快適に暮らせるとは思われない、その時点で模様替え可能な(室をつくらない)という考え方は重要である。建築家や建主がそうであるように、例えば主寝室・子供室はかくあるべきと、かなば常識化していること自体が問題ではなかろうか… 竹ノ内一雄

竹ノ内淳
:2008/09/22 21:48:53 ID:5113

かつて、竹ノ内一雄の石幡邸に対して、時代とか様式とか、なにかそうしたものへの迎合が全くない…と、評していたのは山本理顕さんでした。槙文彦さんは、モダンリビングというような住まい方ではなくて、この家庭にはこうした住まい方という何かが、明白に表現されている。とも、評していらっしゃいました。小学校しか卒業していない竹ノ内にとっては、確かに様式もモダーンもありません。ただ、同じ事を繰り返した事は一度も無かった様に記憶しています。

竹ノ内淳
:2008/07/30 19:47:34 ID:4980

時代が人を育てるのか、人が時代を揺り動かすのか?この建築家の場合、ことごとく時代への諂いを認めた事は皆無であろうと思う。多少の思い込みのズレと表現の稚拙さを差し引いても尚、余白を残しながら同じ時代を歩んでいる。過保護でない建築、何よりもポエムのある空間を!それが彼の口癖である。石町の家は彼の過去のいずれの作品よりも柔和に見える。しかし、彼を知る者がいたとすれば、かつてないきびしさを突き付けられている事が解ると思う。彼は恐らくこれからも余人を許さず突き進んで行くことだろう。孤独な建築人である。

途上人
:2008/02/15 07:32:40 ID:4176

意匠というよりも作法なのかも知れません。内に秘めた厳しさを感じます。

J・T
:2008/02/06 20:07:39 ID:4098

住宅建築で見たんですが、ガラスブロック、タイル、セパ、そこらじゅうに「割り」があります。丁寧な仕事が必須の設計になっています。

プランが明快だと浮かび上がってくるからいいですね。

:2008/02/06 19:39:45 ID:4097

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